×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 
   @

「あけましておめでとうございますっ!」
 まふゆさんは保健室に入ってくるなりぺこっと一例する。
 廊下が寒かったようで彼女の頬が真っ赤になっている。両手を当てて暖めてやりたい衝動に駆られてしまう。
「こちらこそあけましておめでとうございます」
 僕もぺこっとお辞儀を返す。
「相変わらず正月らしくない部屋だね」
 まふゆさんはソファーベッドに腰を下ろすなり部屋を見渡した。
 そりゃここは保健室なんだから正月っぽくはないさ。逆に正月らしい保健室があったら見てみたいものだ。そもそも正月らしい部屋ってどんな部屋なんだ? と初っぱなからツッコミどころは満載だがここは黙っておくことにする。
「とりあえず門松がどーんと!」
 門松は部屋に飾るものじゃないよね。
「獅子舞が部屋中に舞い踊り――」
 邪魔でしょうがないだろうね。
「シーナくんはテーブルクロス引きを練習してる」
 堺正章だって毎年やってるわけじゃないと思う。
「とにかくそんな部屋でお正月を過ごすっていうのが私の長年の夢なんだ!」
 そんな夢を抱いて保健室に来ること自体が間違っていると思うのは僕だけだろうか。
「ごめんね。僕に君の夢を叶えられそうにないよ」
「叶わないのが夢だからね。しょうがないよ」
 何さらっとかっこいいこと言ってるの? そういうことは一七歳の君が言う言葉じゃない気がするけど。
「……でまふゆさんの本当の長年の夢はなんだったの?」
「えっと……おでんのはんぺんを思いっきり食べたい」
「はんぺん?」
「そうはんぺん!」

「ねえ、見て! くらげみたいだよ。ほらシーナくん!」
 確かにくらげみたいだな、って思った。
 発砲スチロールのおでん容器の中では円形のはんぺんがあふれかえっている。はんぺんって三角形のものだと思っていたら最近のおでんは丸い形をしているらしい。
「そんなことも知らなかったの? シーナくんは世間知らずだなあ。保健室にばっかりいるからそうなるんだよ。もうちょっと世間に目を向けなさい!」
 そうだね。前向きに検討します。
「政治家か! 国民に謝れ!」
 その前に君は政治家に謝れ。まふゆさんにとって政治家は国民にあやまるものらしい。
「……っていうかまふゆさん。これっておでんっていうの?」

 おでんのはんぺんを思いっきり食べたい。
 まふゆさんはそう言い出すとすぐさま保健室を出て行ってしまった。
 そして彼女はコンビニの袋を片手に戻ってきた。その袋には丸いはんぺんだけが詰まったおでん容器が入っていたというわけなのだ。
「おでんですけど? 言ったでしょ? お腹いっぱいはんぺんをたべるのが夢だって」
「だからって全部はんぺんにしなくたって」
 今思うとそれが本当に彼女の夢なのかが疑問なわけなのだが。
「シーナくん。夢というのは叶えるためにあるもんなんです。そのためには妥協を一切許さない、そんな心意気が必要なんだよヤング達!」
 長々とよくわからないことを言うんじゃありません。
「まあいいや。そんじゃあ、いっただきマンモース!」
 今時だれも言わないだろそんなこと。この平成の世の中にさ。世間知らずの僕でもわかるっての。
「あ、これちなみにこれ原始時代に人間がマンモスを食べるときに言って言葉だって知ってた?」
 知らない。絶対にそれ嘘だから。
 まふゆさんは、はんぺんを箸でつまむとそのままがぶりとかぶりついく。おでんの湯気で彼女の眼鏡が真っ白になる。
「……あひぃい」
 どうやら熱いと言っているらしい。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「そりゃ熱いよ。あつあつおでん芸やってるんじゃないんだから」
「片岡鶴太郎さんみたいに見えた?」
 せめてダチョウ倶楽部って言ってくれよ。もうあの人におでん芸のイメージがないよ。芸術家だよ今の鶴ちゃんは。
「どう?」
「む?」
 はんぺんを加えながら彼女は首を横にかしげた。その無垢な動作がただでさえ容姿が幼い彼女をより幼く見せている。
「どうって何が?」
「味を聞いてるんでしょうよ。他になにがあるっての?」
「俺ってどうよ? みたいな」
 そんな漠然としてなおかつふざけた質問はしないと思う。
「ねえ、ようやくまふゆさんの夢が叶ったんだよ。長年の。どうなの」
「うーんとね。味気ない」
 だろうね。なんかものすごく想定内のお答え。がっかりだよ。君には失望したよ。
「私の夢ってこんなもんだったのね。まあ、ついさっき考えた夢なんだけどさ。これ」
 だろうね。本当にものすごく想定内のお答え。本当にがっかりだよ。本当に君には失望したよ。
「ごめんね。はんぺん食べたいのが長年の夢っていうのは嘘なんだ」
 知ってたよ。もっというと門松とか門松とかのくだりから嘘だってこともね。
「あーあ、まふゆさんは嘘付いたからりせんぼん飲まされるよ。大変だね。頑張って! 世間って本当につらいね」
「あ、そう! それ! 前から思ってたんだけど、嘘付いたらはりせんぼん飲ますってさ、針を千本飲ませるの? それともハリセンボンを飲ませるの? どっちなの?」
 どうでもいいなー。素晴らしくどうでもいい。一生考えていて欲しい。
「私、それが気になって気になってご飯が喉に通らないっていうか――」
 ものすごく美味しそうにはんぺん食べてるような気がするのは僕の気のせいでしょうか。
「どっちにしろ用意するの大変だから飲む必要はないと思うよ? 僕たち別に指切りしてないし」
「あ、そういえばそうだね! じゃあシーナくん。さっそく指切りしよ!」
 まふゆさんは小指をたてて僕の目の前に持ってきた。僕も小指をたてて彼女の手に近づける。
「指ー切ーりげんまん、うっそついたーら」
 優しい声でまふゆさんは歌いだした。音程が少しずれているがそれは今に始まったことではないので黙っておく。
「凍ったこんにゃくゼリーのーます!」
「いや、それいろいろまずいから。死んじゃうから!」 
「じゃあ正月らしく、つきたてのお餅のーます!」
「そこに正月らしさ求めなくていいから!」
 にゃはは、と無邪気な笑顔をまふゆさんは浮かべる。僕の目の前には彼女の小さな小指があった。爪はちゃんと整い、ささくれひとつない彼女の小指を僕は触りたかった。彼女と僕の小指を絡めてみたいと思った。
 彼女の小指は暖かいのか冷たいのか、それを知りたい。
 だけど僕にはそれができないのだ。
 僕は彼女と指切りをするどころか、触れることもできない。

「失礼しまーす」
 ドアが開く音がして僕らはふと我に返る。
 入ってきたのは一人の女子生徒だった。長く延び、変色した髪、耳には控えめにピアスが光っている。彼女が模範的な優等生――に見えないことはすぐにわかる。
「あれ? 福沢じゃん」
 女子生徒はまふゆさんを指さす。まふゆさんと対照的に伸び放題な爪には派手赤い色のマニキュアが塗られている。
「あ、う、うん」
 どうやら彼女とまふゆさんは知り合いのようだった。しかし知り合いのようには見えるが友達のようには見えなかった。
 まふゆさんの表情が曇り始めた。赤マニキュアが部屋に入ってきたとたんまふゆさんの様子が変わってしまったのだ。
 それでもまふゆさんは笑顔で彼女と接している。
 ただ、その笑顔は先ほど僕に見せた無邪気なものなんかではなかった。堅く、そしてなんだか寂しい笑顔だ。心なしか小さくふるえているように見える。
「どうしたん? こんなとこに一人で」
 にやにやにやにや。
「あ、うう、うん。その……」
 ぶるぶるぶるぶる。
「それ、おでん? 福沢もおでんとか買うんだ。いがーい」
 ウケるしっ。
 女子生徒は含み笑いをしながらそうつぶやいた。まるでまふゆさん本人に聞こえていないかのように――。だがまふゆさんと僕にははっきりと聞こえていた。
 女子生徒の笑みは親しい友に向けるそれではない。
 あざ笑う。
 笑顔っていうのは必ずしも人を幸せにするものではないらしい。少なくとも僕はこの笑いにものすごい嫌悪感を覚えていた。
「あ、あの」
「そうそう、頭痛薬欲しくてここ来たんだけど」
「あ、あ、えっと」
 まふゆさんはそう言うと、薬箱から頭痛薬を取り出した。まるで恐喝にあっているようだ。
「あ、あの、これ」
「あー、さんきゅ」
 女子生徒は頭痛薬を乱暴に受け取る。感謝の意なんてあるわけがないんだろうなって思う。
「福沢」
「あ、う」
「ガンバ!」
 彼女はそう言うと保健室を出ていった。薄ら笑いを浮かべて――。
 本当に嫌な笑顔だった。やっぱり嫌いな笑顔だった。
 まふゆさんを見やると、その場に膝を抱えて座り込んでしまっていた。
 すすり泣いているのがわかる。彼女の小さな背中が小刻みに震えている。ぽたっと床に涙の粒が落ちる。
 
 抱きしめてやりたい。
 僕はそう思った。
 彼女を思いっきり抱きしめて彼女を安心させてやりたい、そして涙をふいてやりたい。
 だけど僕にはそれはできなかった。
 僕は彼女に触れることができない。
 なぜなら僕はもうこの世のものではない――いわゆる幽霊ってやつだからだ。

     ***

 地縛霊。
 僕を存在を一言で表すとこうなる。この世に未練があるがために地上に彷徨っている霊のこと――というのが僕が生前に得た地縛霊の知識である。まさか自分がそういう存在になるとは思いもしなかったけど。
 僕はいつものように朝、学校へ登校しようとしていた。登校時は全くいつもと同じでこの日もいつも通りに学校につくものだと思っていた。毎日その繰り返しだったからだ。確かに退屈はしていた。退屈な生活というものから脱したかった。
 ただ僕には「死」という形でそんな退屈な生活が終わるなんて思いもよらなかった。
 その時の僕に予想なんてできるわけがない。トラックが僕に突っ込んでくるなんて。後に知ることになるけど運転手は酒を飲んで運転していたそうだ。朝だから警察は飲酒検問なんて行わない。だから朝は飲酒運転したって捕まらないとでも思ったのだろう。そんな馬鹿野郎が運転するトラックが事故らないはずがない。それが僕の死で証明された。
 もちろん僕は即死。当然のごとく天国へと召される――はずだった。
 だが気がついたら僕は通っていた学校の保健室に立っていたのである。
ふと洗面台の鏡を見やる。
 いつもと同じ学校指定の制服を着て、二年生を表す朱色の上履きを履いて、僕のトレードマークの黒縁眼鏡をかけていた。
 一瞬生き返ったのかと思った。もしくは事故なんて最初から起こらなくって僕は保健室で夢でも見ていたのだろうとも考えた。それほどに身体がいつも通りだったのだ。
 だが、いつもと同じのはここまでだった。僕はあることに気づきはじめた。そのことに気づき始めると同時にやっぱり僕が死んでいることを悟った。
 学校にいる全ての人が僕の存在に気がつかないのだ。
 最初は無視を決め込んでいるのかと思ったが、保健室にやってくる生徒達どころか保健の先生までもが僕に気がつかないのである。
 彼らは僕の前で普段と変わらない様子で学校生活を送っている。まるで僕がいないかのように――。
 そこで気づいたのだ。僕が幽霊であるということを。
 意外とショックは小さかった。そしてすんなりと今の自分自身の存在を受け入れることができた。それほどにいつもの日常が退屈でつまらないものだったのかもしれない。
 一日経っても、一週間経っても、一年経っても僕は保健室に籠もり続けていた。
 ひたすら保健室から外を眺めた。それしかすることがないからだ。僕は保健室から出ることができなかったのだ。
 いざ一念発起して保健室から外に出ようとするとものすごい圧力が僕に押しかかってくる。まるでここから僕を出すのを防いでいるかのようだった。
 僕はずっと保健室に居続ける。同級生であった生徒達はとっくに卒業していく。それどころか知っている先生までもがいなくなっていく。
 それでも僕は保健室に居続けた。というより居続ける以外にできることがなかった。  ふと保健室のカレンダーを見てみたら十年が経過しているのに気づいた。生きていたら二十七歳になっているはずだ。同級生はとっくに働き出している年齢だ。もしかしたら結婚して、子どももいるのかもしれない。
 しかし僕は相変わらず制服を着て、上履きを履いて、眼鏡をかけて――いつまでたっても十七歳のままなのだ。このまま僕はどうなってしまうのだろうか。ずっとここに居続けなければならないのだろうか。誰も構ってくれない。誰も気づいてくれない。この保健室に――。
 寂しかった。
 死んでもそういう感情は残ってるんだな、と思った。痛い、とか熱い、とかの感覚は亡くなったものの、悲しい、寂しい、辛い、そういった感情は未だに持ち合わせていたのだ。寂しくても僕はここに居続けなければならない。そんな終わりの見えない毎日に絶望しか抱けなくなっていた。
 そんな時に彼女と出会ったのだ。
 彼女――福沢まふゆと出会ったときのことを僕ははっきりと覚えている。彼女はたった一人でこの保健室にやってきた。
 華奢な体にさらりとなびく黒髪、銀縁の眼鏡は彼女を知的にみせているが、きつい印象は全く感じさせない優しい顔立ち。
 彼女は僕に向かってほほえみかけたのだ。右頬には小さなえくぼが浮かんでいる。
「こんにちは」
 彼女は僕に話しかけた。
 正直驚いた。十年近くの間保健室に居続けて、僕に話しかけてきたは彼女が初めてだったからである。
「僕が見えるの?」
「うん」
「僕はこの世のものじゃないんだけど……わかってるの?」
「うん」
「怖くないの」
「うん」
 僕の質問に彼女は静かに頷いてくれた。
 嬉しかった。
 僕はこの保健室でいろんな生徒を見てきたが、僕に気づいて、僕の言うことを聞いてくれるのは彼女だけだった。
「あなたはなんていう名前なの?」
「名前……」 
 確かに名前はあった。ただ十年近く、僕は人に名前を呼ばれることもなければ、名乗ることもないのだ。すぐには口からは出てこない。
「名無しくん……いくらなんでもそれじゃあかわいそうだし……」
 彼女は一生懸命僕の名前を考えてくれていた。
 僕のために何かをしてくれる。生前はそんなこともあっただろうけど、今となってはその時のことをおぼえちゃいない。
 だから彼女の優しさがすごく嬉しかった。
「ナナシ、シナナ……シナー……シーナ。シーナくんってどう?」
「シーナ」
 彼女がつけてくれた名前を自分でつぶやいてみる。
 悪い気はしなかった。それどころか自分でもびっくりするほどしっくりとくるのだ。
「じゃあ、決定ね。あなたはシーナくん」
「ありがとう」
「えっ……」
 彼女の頬は真っ赤になっていた。
「いや、あの、ありがとうなんて言われたの。初めてで、その、私あまり人としゃべれないし」
「僕とはこうやって話してるのにね」
「そう……自分でもびっくりしてるんだけど、なんでだろ。シーナくんはなんか他の男子となんか違うし」
「そりゃ違うよ。僕は幽霊なんだから」
「うん、だけど、なんだろ。シーナくんはすごくしゃべりやすい」
「それはどうも」
「……なんでそこで『ありがとう』って言ってくれないの?」
「言って欲しかったのかよ」
 あんなに恥ずかしがってたくせに。女の子のことはよくわからない。
「じゃ……ありがと」
「……うん」
 彼女は笑った。
 それはすごく優しくて、すごく温かくて、すごく素敵な笑顔だった。
 僕は彼女の笑顔をずっとみていたい、僕はそう思った。
 極度の人見知りで友人もいない彼女が僕に会いに保健室に来るようになったのは実に自然なことだった。
 僕と彼女はたわいもない話をしてすごしている。
 彼女はあまり自分のことは話したがらなかった。クラスでも目立たなく、話し相手もいない彼女にとっては日常のことを話すのは気が引けるようだった。
 彼女の目にはふつうの男子と同じように見えているということだった。それはそうだ。僕の見た目は完全に十七歳で止まっているのだから。
 彼女にとって僕と一緒にいることは学校の男子と一緒に過ごしていることと何もかわらないらしいのだ。
 だけど僕はやはり他の男子とは違うらしい。
 僕は彼女に触れることができないらしい。
 考えてみれば当然のことだ。生きているわけではないのだから。

***

 僕は座り込んでしまっている彼女に手を貸すこともできないし、頭を撫でてやることもできなかった。指切りで約束することさえできない。それはずっとわかっていたことだった。それだけにものすごく悔しい。
「まふゆさん」
「……シーナくん。ちょっとごめん」
 そう言うとまふゆさんはベッドに横になった。
「ごめんね。シーナくん。私なんともないから」
「まふゆさん。僕たち指切りしたよね」
 直接指をからめたわけじゃないけど確かに僕達は指切りで約束した。
 嘘は吐かないって。
 今のまふゆさんは明らかに大丈夫じゃない。
「うん、ごめん」
「そんなに、ごめんごめん言わなくっていいって」
 言われてるこっちが恐縮してしまう。
「うん、ごめん」
「ほら、また……」
「あ!」
 するとまふゆさんは声を出して笑った。
 その笑顔を見て僕も笑った。
 僕は確かに彼女に触れない。
 だけどこの笑顔は誰も見ることのできない。
 僕だけのものなのだ。

「じゃあ今年の目標を決めようか」
 しばらくの間ベッドで休んでいたまふゆさんはもう調子が戻ったらしく、いつの間にかさっきの正月モードに戻っていた。
 まふゆさんは鞄から筆ペンと白紙のルーズリーフをとりだしてテーブルの上に置いた。
「これ何?」
「書き初め! のつもり」
 たしかに正月らしくはある。だけど少し安っぽい気はするけど。
「だって半紙に筆で書くとめんどくさいじゃない。シーナくんもめんどくさいと思うでしょ?」
 思うでしょ、と言われても。
「とにかくこれでいいの。書けたら壁に貼っていきます」
 勝手に保健室にものを貼っていいのかという疑問はあるがここでも僕は黙って頷いておく。
「それじゃあ、始めるよシーナくん」
 始めるよ、と言われても僕は文字を書くことはおろかペンをもつこともできないので黙って、まふゆさんを見守っていることにした。
 すらすらとペンを走らせるまふゆさんはすごく楽しそうだった。先ほどの彼女からは想像もできない笑顔。
 僕はそれをただ見つめていた。
「できた!」
 まふゆさんはルーズリーフを自慢げに僕に見せる。
 《課長さん ネクタイとっても お似合いね》 
「これ書き初めじゃないし! サラリーマン川柳だし!」
 サラリーマン川柳にもなってない気がするけどそこにいちいちつっこんでいたら僕の身が持たない。
「いいんだよ! 新年に一番初めに書くから『書き初め』なんだよ!」
「よくないよ。せめて目標とか抱負とかそういうものを書きなさい!」
「もううるさいなー」
 《はんぺんを お腹いっぱい たべたいな》
 食べてたじゃん! まだ足りないのかよ! 
 《今年こそ 清く正しく 美しく(まあ、嘘なんだけどね!)》
「最後の一言で台無しだよ! っていうかなにゆえさっきから書き初めっていうより俳句になってるよ。……いや俳句にもなってないけど!」
「だって目標とか抱負とか急に言われてもわからないよ」
 それでよく書き初めやるとか言い出したね。その英断に脱帽だよ。
 
「ねーねーシーナくん。正月っぽいことしようよー」
 まふゆさんは書き初めに飽きたようだった。先ほどの書き初めもどきは紙飛行機にされた上にどこかへとばされてしまった。
「なんだよ。正月っぽいことって」
「初詣とかさ」
「うーん。できれば保健室の中でできるものがいいな。僕はこの保健室から出られないわけだし」
「うん、わかって言った」
 まふゆさんは子供のように笑う。
「どっちみち初詣とか行かないんだよね。人が多くてつかれちゃうから」
 本当にまふゆさん他人が苦手なんだなって思った。保健室での彼女からはとても想像ができない。
「初詣は行きたくないけど巫女さんはみたいなー」
 そう言いながらまふゆさんは書き初めもどきで作った紙飛行機を投げる。
 紙飛行機は掲示板に貼られている手荒いうがいを推進するポスターに当たるとそのまま床に静かに落ちた。
「初詣といえばずっと前から思ってることがあるんだけど」
 まふゆさんは紙飛行機を拾い上げて教卓の上にそっとおく。
「巫女さんっているじゃない? あれってなんでいるものなの? にぎやかし?」
 にぎやかしってことはないとは思うけど。単純に神のつかいだったと僕は思うんだけど。
「その神の使いがおみくじ引かせたり。お守り売ったり、巫女カフェで接客したりしてるわけ?」
 最後のはまた別のケースだと僕は思うけど。
「けど一回あの格好してみたいんだよね。巫女さんの服」
 僕は巫女服姿のまふゆさんを想像してみる。僕の頭の中のまふゆさんはだぶだぶの巫女服を着ている。
 おみくじの紙を取りに行こうとして裾を踏んでころがるまふゆさん。
 お守りを売るときにおつりを渡すのを忘れて裾を踏んでころがるまふゆさん。
 巫女カフェでお客さんを席へと案内するときに裾を踏んでころがるまふゆさん。そんなまふゆさんが僕の頭の中をぐるぐる回っている。
「どっちにしろ私は裾ふんでころがるの?」
「ちっちゃいからね。まふゆさんは。しょうがないよ。だって……ちっちゃいから」
「ちっちゃいちっちゃい言うなー! 私の背はこれから延びるの! 空よりも高く! 海よりも広くなるの!」
 うん、それは一般的に化け物と呼ばれます。
「初詣には行かないとして、一応シーナくんにも今年の願い事みたいなものあるでしょ?」
「願い事ねえ」
 保健室に住み着いてる霊としては特に思いつかないのだが。
「テストで一〇〇点とりたいとかそういう可愛らしい目標にしたらどうなのシーナくん」
「お化けには学校も試験もなんにもないのだよ。そうだなあ。世界平和……かな」
「けっ! かっこつけちゃってさ。今日のシーナくんはかっこつけシーナくんだね」
 その称号はよくわからないけど、たしかにかっこつけてるといえばかっこつけてるかもしれない。戦争が起きようがおきまいが僕にはもう関係ない話だし。落とす命もないし。
 けど、もし僕がひとつだけ願いごとをするとしたら――。

「まふゆちゃーん! もう下校時間になるよー」
 勢いよくドアが開いて、白衣の女性が部屋に入ってくる。
「え、もうそんな時間?」
 部屋に備え付けの柱時計は五時一五分を指していた。
「私はこのあと職員会議があるからもう行っちゃうけどちゃんと下校時間までには帰ってねー」
「了解です! 塙先生!」
 養護教諭特有の白衣にさらさらの茶色い髪を二つにまとめたツインテール、そしてうさぎのように白い肌。この保健室の主である塙先生だった。
「暖房と電気を消して鍵をかける。そして鍵はしっかりと職員室に戻す。これでOK?」
「うん。おっけー。というわけで後はよろしくね」
 そう言うとさっそうと塙先生は保健室を後にする。こつこつっと先生が廊下を歩く音が響いた。
「というわけでもう下校の時間なのだ」
 まふゆさんは先ほど鞄からだしたルーズリーフやら筆ペンやら紙飛行機やらを片づけ始めた。
 すると再びヒールが鳴る音が聞こえる。どうやら塙先生が保健室に戻ってきたようだった。
「どうしたんだろう。何か忘れ物かなあ」
 まふゆさんは帰り支度を続くける。
「あ、まふゆちゃん。言い忘れたんだけど」
「なに?」
「メリークリスマス。そしてよいお年をね」
 塙先生はそう言い残して再び保健室を後にした。


     ***

「明日、お正月するよ!」
 一二月二三日。保健室に入るなりまふゆさんはそんなことを言い出した。
「は?」
 耳を疑った。急いで耳鼻科に行かないと――などと思ったけど幽霊の僕には医者はいらないことを思い出す。
「シーナくん。は? じゃないの! お正月するの?」
 やっぱり僕は正しく聞こえていたらしい。
「お正月? なんで?」
「だってお正月って何故か学校がお休みだから保健室に入れないでしょ?」
「何故かっ……って正月ってそういうもんじゃないの?」
「また私がここにくるころは始業式の日になっちゃう。そうなると保健室でお正月きぶんが味わえない」
「いや味わえなくていいんじゃ」
「シーナくんはそれでいいの? 正月気分を味あわなくてそれで日本人って言えるの?」
 いや別に関係ないと思うけど。それに地縛霊の僕が日本人っていっていいかもわからないし。
「というわけで明日一足早いお正月を行います。ここで!」
「っていうかなんで明日なの? 明日はクリス――」
「明日が終業式だからやるんでしょ? 明日を逃すともうシーナくんはお正月を迎えられないのよ?」
 まふゆさんの頭の中にはクリスマスツリーもサンタクロースもトナカイも入る隙間がないらしい。彼女の頭の中には門松や獅子でいっぱいなのだろう。
「というわけで明日私が保健室に入ってきた時からスタートだからね」
 まふゆさんの目はぎらんぎらんに輝いていた。もうまふゆさんがこの目になったら誰も止められない。それこそサンタクロースにも止められない。

     ***

「楽しかったねお正月」
 けど結局お正月らしいことはなにもやってないけどね。だけどお正月気分は味わえた気がする。そんなの何年ぶりだろう。例年だったら誰もこない保健室で一人息を潜めてるというのに。
「よし、準備はできました。暖房も消しました、電気も消しました。後は鍵をかけるだけです」
 僕は帰りの支度をしている彼女を黙って見つめていた。
 僕の願いそれは――。
「じゃあね。シーナくんまた来年ね」
 ずっととは言わない、せめて来年の卒業式まで、彼女と楽しくすごせればいいな。それが僕の今の願い事。
 まふゆさんは保健室のドアを開ける。
「あ、これだけは言っておかないとね。メリークリスマス、シーナくん」
「うん、メリークリスマス」
 感じることはできないけど、なんだかこの部屋全体が例年よりも暖かい気がした。


@>>A

「小説」に戻る
トップ画面に戻る