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青いリボンと学ランと




「すいませーん。絵画にご興味はお有りですかー」
 今日も白川が僕の席に近づいてきた。手にはいつものようにコンビニ袋をぶら下げている。時計は 一二時二十分を指していた。あるものは食堂へと走り、あるものは購買へとパンを求め、またあるものは持参した弁当の中身に一喜一憂する――そんな休息と戦 争が入り交じった普段と何も変わらない昼休み、いつもと同じようににやけた顔で白川がやってくる。
「今なら一千万ゼニーで大変お買い得になっていますが」
「絵画に興味がないことはない。ただお前に興味がない。帰れ」
 それに高すぎるだろ一千万ゼニー。天下一武道界の優勝賞金並の絵ってボッタクリにもほどがあるし。
「ちょっ。ひどいなこいつ。いきなりクラスメイトの俺に向かって人格否定を始めましたよ?」
「黙れ。絵画を勧めてくるやつにはそうやって返せって死んだばあちゃんが言ってた」
「お前のばあちゃんピンピンしてるじゃねえか。老人会の不死鳥と呼ばれてるくらいだろ?」
 何だよそのキャッチフレーズ。僕のばあちゃんがまだ存命でピンピンしてることは否定しないけどさ。
「ではここで絵画とかけましておばあちゃんと説きます」
「……その心は?」
「タンブラーが似合うでしょう」
 何も思いついてねえのになぞかけを始めるお前の勇気に脱帽だよ! そもそもタンブラーが似合うものが逆に思いつかねえよ。なぞかけに飽きた白川は隣の席におとなしく座る。
昼 休みは白川が僕の隣の席に座って昼食をとることが日課となっていた。そもそも隣の席にはちゃんと持ち主が存在するのだが、彼は授業終了すると同時に仲間と 学食へ直行し、その足で体育館に行ってバスケなんかに興じているので授業開始五秒前にならないと教室に帰ってこない。だから隣の席が開いていることをいい ことに白川は昼休みのほぼ全ての時間を僕の隣で過ごしているのだ。
 白川の着席時に学ランの袖ボタンが机に当たってこつっと音を鳴らしていた。学ランの袖口はいつもほころんでいてボタンが今にも取れそうな状態である。といっても学ランの袖ボタンは所詮飾りでしかないから一つくらい取れていても何も困らないだろう。
強いて言えば生活指導の先生に注意されるぐらいだろうか。
  白川はコンビニ袋から菓子パンを取り出し封を開ける。そして豪快にパンにかぶりついた。白川がかぶりついているのは『手作り風ミルクパン』。工場での流れ 作業が丸見えのコンビニ菓子パンで「手作り」をうたうとはなんとも思い切ったものである。それにしても何でこう隣人が食べているものは旨そうに見えるんだ ろうか。流れ作業丸出しのパンでもあんなに豪快に頬張られると思わず喉が鳴ってしまう。毎朝早起きして弁当を作ってくれている母親には非常に申し訳がない けど、時々無償にパン食がうらやましくなる時がある。そりゃあ学校の帰り道で買い食いすればいいだけの話だが、今この瞬間に食いたいものっていうのがある のだ。もし、白川に「そのパンを俺によこせ」とジャイアン級にパンを要求しても「パンがなければケーキを食べればいいじゃない。いや日本男児たるもの米を 食え米を」とマリー・アントワネット日本男児編で白川は怒ってくるだろう。そして結局は半分くらい僕に分けてくれるだろう。白川はそういうやつなのだ。だ けどこの白川の華奢な体に合っていないだぶだぶな学ランを見ているとこいつから食べ物をとるという行為がものすごく残酷な行為に思えてきてしまうのであ る。白川から食べ物を分けてもらうどころか僕の弁当を半分以上分けてあげたいくらいくらい。食べないから体が小さい、小さいから食べないのスパイラル状 態。これはどげんかせんといかんのだ。けど白川は食べ方が豪快な割に小鳥の如く小食なので、わけてあげたところでほとんど残してしまうのだけど。
「なあ?」
 やっとこさ半分パンを食べきった白川が僕の机をじっと見つめている。
「何?」
「お前さ、弁当食うときぐらいは教科書とかしまったら?」
  見ると僕の机の上は国語の授業道具一式が授業の時そっくりそのまま残っていた。うとうとしながら書き連ねたノートはアラビア文字と化しているし、資料集の 正岡子規再先生は見事なまでに横を向いている。先生の横にどんなおもしろいものがあったのだろうか。だけど写真を撮るときぐらいは正面向いたらどうなんだ ろう。まあ多少食いにくくはあるがそんなことは気にせず弁当との格闘を再開する。
「聞いてるのかよお前は」
 白川の声は僕には届かない――と言うことにしておく。今は片付けよりも食欲を優先したい。なぜならお腹がすいているから。僕が無視をしたのにむかついたのか、白川が弁当から玉子焼きを手づかみで奪う。
「おまっ。何勝手に」
 そして母親特製の卵焼きを頬張った。
「……うん。マズイねっ!」
「奪っといて何だよその態度!」
「しょうがねえだろ。仁美の作る卵焼きはマズイって町内でも評判だ。全く仁美のやつは――俺がいないと駄目なんだから」
「人の母親呼び捨てにするな! どういう関係なんだよお前と僕の母親は!」
「いやぁ、それはここじゃあ言えませんよ。うはははは」
「うははははじゃねえ」
 いつもと同じように平和な時間が流れる。今日も今日とてそんなくだらない話をしていたらいつのまにか授業開始十分前になっていた。
「ちょっと白川さん」
 振り返って声の主を確認する。僕らの後ろには委員長の飯田さんが立っていた。赤い縁の眼鏡に清楚なポニーテール、しっかりと付けた校章や名札は一寸のずれも見あたらない。この人は委員長になるために生まれたんじゃないかって僕はいつも思っている。
「おう! 委員長。どうしたん?」
 白川がラスト一口の『手作り風ミルクパン』を頬張りながら飯田さんに問いかける。
「もう汚いなあ。ちゃんと飲み込んでからしゃべってよ」
「お前は俺のお袋かっての。説教は後で聞くよ」
「説教って……もう。ちゃんと私の話を聞いて。もう十分前なの!」
「……何が?」
 飯田さんはあきれた様子で白川を見る。
「次の体育は体育館だって言ってあるでしょ? いつまでその制服のままでいるのよ」
「いいよ。どうせサボるし」
 白川が振り返った時にストレートロングの綺麗な髪が僕の手に触れた。
すべすべしてるんだなって改めて思う。
「良くないよ。ここは男子の着替えるクラスでしょう?」
「ったくうぜえな」
 白川の乱暴な言葉に驚いたのか、飯田さんは軽く涙目になってきている。
 ……ったくしょうがねえな。
「白川。僕からも頼む。お前がサボるサボらないは自由だ。だけど男子がお前の目が気になっていつまで経っても着替えが出来ない」
 白川は僕のほうをじっと見て何か言いたげだったが「わかったよ」とだけ言い残して教室を出て行った。

 白川由加里。それが白川のフルネームだ。
  彼女と初めて会ったのは確か小学校三年の時だったと思う。うちの相向いにとある一家が越してきたのだ。眼鏡をかけたいかにも優しそうな父親。そして社交的 で世話焼きな母親、スポーツ刈りで体格のいい兄、そして恥ずかしがり屋でいつも兄の後ろにいる妹。いつも兄の後ろに隠れている彼女こそが白川由加里だっ た。引越しの挨拶に来た時、由加里はお兄さんの後ろで恥ずかしそうにしていた。彼女が頭に青いリボンを付けていたのを今でも覚えている。つもお兄さんの腰 にちらりと青いリボンを覗かせているので、お兄さんが浴衣の青い帯でも巻いてるように見えてなんだか可笑しかった。
引っ越しと同時に僕と同じ学校に転校してきた由加里はやはりおとなしかった。
休 み時間には一人で本を読んでいる、そんな典型的なおとなしい子だったのである。あんまり人としゃべってるのを見たことがなかった。小学六年のとき僕と白川 は委員会で一緒になった。委員会にかかわる事務的な会話を彼女とするようにはなっていた。しかし、それ以上仲良くなるということもなく委員会の仕事がなく なると同時に二人して話すこともなくなっていた。
 そして僕と由加里は二人そろって今通っている私立の中学校へと進学した。というのも僕らの住む 地区から今の学校へは徒歩五分なのに対し、地域の公立中学へは徒歩で二〇分近くかかるのである。だから二人揃って私立の中学を受験したのは必然的なものが あったのかもしれない。同じ中学に入ってからはクラスが一年、二年と違っていたため話すことはおろか会うこともなくなってきていた。三年生になって一緒の クラスになってもまだ由加里は大人しかった。小学生の時よりもさらに大人しくなってしまった印象さえ受けた。
それからしばらくしてからのことだった。高校生だった由加里の兄がリストカットによって自らの命を絶ったのは――。風呂場でカミソリで手首を切って倒れて いるのをおばさんが発見したのだ。病院に担ぎ込まれた時にはもう手遅れだったらしい。それからだった。由加里が学校を休み続けたのは――。僕が母親伝いに 聞いたところによると、お兄さんが亡くなってからずっと彼女は部屋にこもってしまっていたそうだ。
 そしてお兄さんが亡くなってから一ヶ月がたった。僕はいつものように教室に入り、いつものように机にうつぶせてつかの間の休息をとるつもりだった。ただいつも通りだったのはここまでだったのだ。
「おう、おはよう」
 聞き慣れない声がした。しかし初めて聞いた声ではない気がする。顔をあげて僕は声の主を探した。そして目を疑うことになる。そこにはなんと学ランを着た女子がいた。
いかにも学生服という感じの真っ黒な生地に少し黒ずんだ金色のボタン。しかしその肩には見るからにさらさらなロングヘアーが垂れていた。目の前にいるのが 白川由加里であることを理解するには時間がかかった。何かのドッキリかとも思った。しかし僕みたいな一般人にドッキリが執行されるわけもない。
「おう、どうした?」
 僕はそう返した。その時は何も考えずに言ったのだが、今思えばこれは最高の返しだったかもしれない。
「ん。いや何も。ただダルくってさ」
「そうか」
  由加里の言葉遣いは幾分乱暴だった。明らかに男を意識して言葉を発していた。やはりかなりの違和感があった。みんなブレザー姿の中、一人真っ黒な学ランを 着ている由加里は誰が見ても完璧に浮いていた。さらにいままで大人しかった彼女が男子の制服である学ランを着て男口調で話しているのだ。この行為がさらに 教室という限られた空間の中で彼女を孤独へと追い込んでいる。しかし学校中の誰もが由加里の行為について何も言わなかった。彼女の兄が死んだことはこの学 校のほとんどが知っていた。だから何も言えなかったのだ。男のようにふるまおうとしている由加里はよく見ると小刻みに震えている。
「まあ、座れよ」
 僕は彼女の手を引いた。由加里の手は驚くほど冷たかった。しかし、男の手にはない柔らかい感触に僕は一瞬手を離しそうになる。
「う、うん……お、おう」
 慣れない言葉遣いをしながら由加里は僕の手をぎゅっと握った。
彼 女の小さな細い指が僕の手を弱々しく包む。やはり由加里は女の子なんだなって思う。男同士だったら手を握る返すことなんてしないから。落ち着きがないなが らも無理矢理にでも男っぽく振る舞ってる由加里を見て、僕は思った。由加里を守らなきゃいけない。――それは男友達として、だ。
それから僕と由加里は行動を共にするようになった。昼飯を一緒に食い、放課後は一緒に帰った。男と女という関係ではなく普通の男友達として。由加里が着ている学ランが死んだお兄さんのものであるということを知ったのは、もうしばらく後のことだった。

     *

深夜二時、自宅。僕は特にやることなく二階の自室でテレビを見ていた。
  とにかく暇だったのだ。中学三年の十一月といえば受験に向けて机にかじりついているものだが、僕はもうすでに推薦で高校の合格を決めていた。もちろん進学 先の高校からいくつか課題が与えられていたのだが、提出が来春の新学期というゆるゆるのスケジュールのためやる気がなど起きるわけがない。同級生が受験勉 強に励んでいるというだけでどこかへ遊びに行こうという気もなくなっていた。というよりも、もし遊んでいるところを同級生に見られたりなんかしたら、向こ うがまるで親の敵のようにこちらを睨んでくるのは目に見えている。だから僕は学校から帰ると自室に引きこもって時間をつぶす。
 ゲームをして、漫画を読み、マスターベーションをする。それでもまだ時間が鬼のように余る。だから僕はそんなときはぼんやりとテレビを見る。しかしこんな時間にやっているのは通販番組ぐらいしかない。
音楽は記憶のポストイット。 街角で耳にした古い流行歌が僕の青春時代の一ページを開きます
 ちょうど懐メロを集めたCDの通販番組が始まる。たぶん親の世代ぐらいの歌謡曲が聞こえてくる。しかし、それらの曲は僕の頭に残ることなく通り過ぎていく。頭の中は他のことで一杯だったのだ。
 由加里のことだった。
  いつものように一緒に帰ろうと僕は放課後の教室で彼女を待っていたのだ。しかし一時間待っても由加里は現れなかった。こんなことは初めてだった。もう一時 間待ってみたが由加里が教室に来る気配すら感じられなかった。結局久しぶりに一人で帰路に着いたのだった。それにしてもなんでこんなに気になるんだろう。 ただの男友達のはずの由加里が心配でしょうがないのだ。メールでも送ってみようか。でもなんて送る? こんな深夜に? 心配で心配でしょうがない、そんな メールを送るのか僕は。一度携帯を手に持ってみるが、急にばかばかしくなってベッドにそれを放り投げる。本当に馬鹿らしい。心配しなくったって由加里はま た明日学校に来るさ。ただの友達にこんなに心配する僕がどうかしてる。今日はもう寝てしまおうか。そう思い僕は電気のスイッチに手をかけた。その時だっ た。
こつっ
ガラスに何かがあたる音がする。その音はどうやら窓から聞こえてくるようだ。とりあえず僕はカーテンを開けてみることにした。
「よう」
 窓から下を見下ろすとこちらに手をあげている人物がいた。それが白川由加里であることを認識するにはそう時間はかからなかった。
「どうしたん?」
 僕は下で手をあげている由加里に話しかけた。動揺が尋常じゃなかったのだが、なるべくいつものように振る舞うように努める。
「んーと。部屋入れてもらっていいか?」
 今度こそ動揺を隠しきれなかった。こんな時間に由加里がやってきたのもそうだが、僕の家に上がることなんて今までなかったから。暗いからよくわからないが由加里は後ろ髪をいじっているように見える。
「待ってて」
 僕は玄関まで下りてドアを開ける。 そこには普段着姿の由加里がいた。黒いジーンズに真っ赤なパーカーと言う格好。そんな格好なのに妙に由加里が女の子らしく見えた。たぶん普段学ラン姿しか見ていないからだろう。
「悪いな。こんな遅くに。電気が付いてるのが見えたからさ」
「いや別に大丈夫だけど」
 その後何を言っていいかわからなくなった。
 由加里も同じようでお互い何も言わない。
沈黙状態が続いた。玄関に置いてある置き時計がこくっこくと秒針を刻む音が聞こえる。
「とりあえず上がれよ」
「……ごめん」
  由加里が僕に謝るのを初めて見た気がする。いや、小学生時代の彼女はあやまってばっかりいた。何をやっても彼女の第一声は「ごめん」だった気がする。聞い てるこっちがなんだか恐縮するぐらいに。初めて小学生の由加里と今の由加里が繋がったと思った。やはり由加里は由加里なのだ。
 僕と由加里は黙って階段を上がる。何かかける言葉があればいいのにって思う。口べたな自分を今日ばっかりはとことん責めてしまいたい。彼女にかける言葉が見つからないまま僕らは部屋に入る。
「変わってないね」
 僕の部屋をぐるりと見回した由加里はそうつぶやいた。そう言えば由加里はお兄さんと一緒に僕の部屋に来ていたっけ。やっぱりその時も彼女は何もしゃべっていなかったが。
「そう? とりあえず座って」
「うん」
 座って、と言ったものの僕の部屋には来客用の座布団なんて気のきいたものは置いていない。どうしようかと僕が迷っていると
「じゃあここに座る」
と由加里が言ってパイプベッドにちょこんと座った。僕は机の椅子に腰を下ろす。
「何かあったん?」
 僕は口を開いてみる。こんな時間にわざわざ僕の部屋に来たのだから何も無いわけがないのだ。
「うん。そのえっと、あのねっ」
 由加里は口を開いた。
「あはは、あのねじゃねえって」
 女じゃあるまいし、そう言って由加里は笑った。
「あのさ……無理なんだってさ。T高校は」
 一瞬にして由加里の笑顔が悲しい笑顔になった。
 T高校。歴史があり、進学率も高いここの近所の男子校であり、僕が推薦で合格を決めた高校である。そして、由加里の兄が通っていた高校。彼女が着ている学ランはこの学校の制服だ。
「無理なんだってさ」
 由加里は繰り返す。
「そう」
 それ以外の言葉が見つからなかった。なぜ由加里がT高校に入れないか。よく考えたら、いやよく考えなくてもわかることだ。由加里が女だから。女子は男子校に入れない。ただそれだけのことだ。
「T高校じゃなきゃだめ?」
 僕は由加里の顔を見ないで言った。見なかった、というか見ることができなかった。
「高校なら他にある。T高校より頭いいところもあれば低いところもいくらでもある」
 女子が入れる高校もいくらでもある。そもそもわざわざ死んだ兄を思い出させるような学校に行く必要もない。
「んーと」
 由加里は天井を仰ぐ。
「お前と一緒の学校行きたいと思ってさ」
 そう言うと由加里はうつむいてしまった。
「いや、あれだよ。いつもつるんでるんだからさ、お前と一緒じゃないとつまんないんだよ……俺が」
 まるで急いで付け足したかのように早口で由加里はしゃべりだした。
「俺が……俺がね」
 僕は思わず目を背けてしまった。由加里の目から涙が溢れ出しているのだ。涙の粒が彼女の目から溢れだし、ベッドの上にぽとっと落ちる。
「……ごめん」
 由加里はそう言ってパーカーの袖で涙を拭う。僕は何もできなかった。ただただ泣いてる由加里から目を背けていた。彼女の泣き顔を見ることにものすごい罪悪感を感じてしまっていた。
「あのさ」
 嗚咽が治まった由加里が充血した目で僕の目を見つめる。
「俺の横来て」
 僕は黙って彼女の横に座る。ぎしっとパイプベッドが軽くしなった。
「どうし――」
 僕はそれ以上の言葉を発することができなくなっていた。由加里が僕に寄りそってきた。そして彼女は僕の肩に頭をそっと置いてつぶやく。
「ごめんな。気持ち悪いよな。いきなりこんなことして」
 近くに彼女の首筋が見える。うさぎのような彼女の白い肌が露わになった。
「いや、別に」
 初めて自分の心臓の音を止めてしまいたいと思った。自分の鼓動が由加里に聞こえないかなって思う。
「……優しいんだな。お前は」
 そして彼女はこう付け足した。
「俺が女だったら絶対放っておかないんだけどな」
  そうして僕らはお互い何も言わず寄り添いあっていた。抱きしめてしまおうか。そんな感情が僕の頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている。だけどできなかった。 ここで抱きしめてしまったらいままでの彼女と過ごした日々の記憶が崩れ去ってしまう気がしたのだ。男友達として彼女と過ごした日々のことを――。それが怖 かったのだ。あの心地よい日常が僕の頭からなくなってしまうのが嫌だったのだ。
 泣き疲れたのか由加里は僕の肩にもたれかかったまま寝てしまって いた。僕はベッドに彼女を寝かせて僕は床に寝そべった。部屋中に広がる由加里の甘く優しい匂いが僕の鼻孔をくすぐる。こんないい匂いがするやつは男子校に は行っちゃだめだよな。僕はそんなことを思いながら彼女の匂いに包まれていた。

     *

 結局僕と由加里は別の高校 に進んだ。あの夜から卒業するまでの間も僕と由加里は同じような関係続けた。そして春が来て僕ら二人は学校を卒業したのだ。 高校に入ったら部活に勉強にといろいろ忙しくなってしまい、由加里の存在を忘れかけてしまうほど充実した生活を送っていた。
そして高校に入学してから一ヶ月が過ぎようとしていた時のこと、僕は高校に向おうと家を出た。すると近くのバス停にブレザーを着た女子が立ってるのを見つけたのだ。
「よう」
 僕は声をかける。あっちも僕に気づいたようだった。
「よう」
 彼女は振り向いた。バス停にいたのはやはり由加里だった。しかし今の彼女は僕と昼飯を一緒に食い、一緒に帰り、部屋で泣いていた由加里とは違っていた。髪はロングからセミショートに変わり、服装は学ランからブレザーに変わっていた。だけど一番の違いは――。
 ちょうどその時に僕らの前にバスが止まる。
「わたし、行くね」
 そう言って由加里はバスに乗り込んだ。僕が手を振ると、プシュウとドアが閉まる。
今の君はまだ僕を放っておけないのかな。なんて言葉が僕の頭に浮かんだ。けどやっぱり言えなかった。もしも言っていたら彼女はどんな表情を浮かべただろう。
 僕はバスを見送る。走り去るバスの後部座席。彼女の頭で青いリボンひらひら揺れていた。バスが行ってしまうと僕は学校へ向かって歩き出す。僕が着ている学ランからはあの夜と同じように甘くて優しい匂いがした。(了)


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